院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


お袋の味



母は今年の年女、大正十一年の戌年生まれ、八十四歳になる。最近は体力の衰えを愚痴にすることが多くなったが、端から見ている分にはまだまだ矍鑠(かくしゃく)として元気である。国語教師としてスタートし、当時としてはまだ珍しかった女性校長となり、県の教育委員まで勤め上げた。

余人が一目置くキャリアには、やはり欠落したところもあって、(洗濯は得意だと本人は主張するだろうが)家事一切は不得意である。まあ主婦としては及第点に遠く及ばない。したがって私には「お袋の味」といったものは存在しない。なければないで、気楽でもある。学生時代、郷里を離れた仲間同士の会話の中で、「お袋の味」というフレーズが出るたびに、どこか冷めた感情が動いた。元来私は郷愁に根ざしたウェットなセンチメンタリズムが苦手である。男尊女卑の職場環境のなか、がむしゃらに働いて、時代を切り開いた母の颯爽とした活躍譚こそが、ドライでクールな私の「お袋の味」である。

 さて母の家事不如意の恩恵を一番受けているのが、誰あろう私の家内である。専業主婦という大看板を背負わされ、スローなテンポであくせく家事におわれる家内を、母は「うちの嫁はそつなく家事をこなしている」と感じているようである。嫁姑の問題が新旧の主婦の座という権力争いの側面を持つとするならば、我が家はある種の成功例と言えるかも知れない。食卓を囲んで時々、母が諳んじている論語の一節や詩歌を披露する。その方面に疎い家内は意味も分からないまま、家事の手を止めて神妙にフムフムと頷く。少し滑稽な状況が、吉川家円満のバロメーターである。


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